こんにちは
悟です。 (@rxf7oqjSU4v473O)
今回は「日本の公教育・学力・コスト・民主主義」を紹介します。
保育園の不足、高校授業料の無償化、国立大授業料の値上げ、小学校のプログラミング科目の必修化など教育関係の問題はしばしば議論を巻き起こします。
原因としてあげられるのが、多くの人が、自らの経験や関心のある社会問題と結びつけて発言してしまうことです。
教育は決して社会問題を解決する万能な薬ではありません。
社会からの様々な要請により教育現場はかつてないほど疲弊しています。
今回紹介する本では、公教育の意味を深く考察し、教育に出来ることと出来ないことを整理しているため、現代の教育問題を外観するのに役立つと思います。
私の通う地方国立大学にも言及があり、大学進学の意味を考え直すきっかけになりました。
本書の目次
序章 教育の公共的意義とは何か
第1章 社会変動と学校・家族
第2章 学校と格差・不平等
第3章 教育政策とエビデンス
第4章 教育の社会的貢献
第5章 教育にできること、できないこと
教育政策と社会欲求のねじれ
教育に限らず、政策を実行した後は結果を評価する必要があります。
「この政策は具体的にどんな効果があったのか?」を対照区と比較し、統計的に分析を行います。
貴重な税金を使っているのですから結果の評価というのは重要です。
教育の現場には知識やスキルの多さだけでなく、応用力や発想力更には人間力の高い人材に育ててほしいといった要求が届いています。
現代はグローバル化も進み、社会の進歩が非常に早く進んでいきます。
その為、詰め込んだ知識はやがて腐ってしまい、時代についていけない人材が多く生まれてしまいます。
そうならない為にも教育には大きな期待がされています。
しかし、教育を誰もが納得できる形で評価する方法があるわけではなく、生徒の人間力など客観的な指標で評価できるわけがありません。
そこで、「成績」つまりテストの点数を基準にして、教育効果を測るという
のが現在のスタンダードになっています。
周りから批判を受けない為にも、どんな教育政策にも成績の向上によって効果を実証しようというインセンティブが生まれるのは自然な事でしょう。
しかし、これで社会の求める、応用力や発想力などは一切評価されていません。
それどころか前近代的な、詰め込みによって生徒の能力を評価しています。
経済界と教育政策の要求にはねじれがあり、学校現場はその狭間で苦闘している
経済界からは柔軟性や人間力を教育政策からは成績向上を求めらています。
少しでも問題が起きれば学校は批判されてしまうため、教育現場ではますますリスクを取りにくい状況が生まれているようです。
地方国立大学の意味
本書では地方国公立大学の存在が学生の機会の平等に大きく貢献してきたといいます。
私立大学が大都市圏に集中するのに対し国立大学は各都道府県に1つ以上存在しています。
この点からも多くの優秀な地元学生を受け入れ、一定数を地元経済界に排出してきたのは皆さんも理解できると思います。
本書では統計分析できるほどではないものの、地方大学からノーベル賞受賞者が複数名出ていることに言及しており、日本全国で一定水準の研究活動が行える環境を行うことができ、日本の研究を下支えしてきたと考えることができます。
更に、地方国立大学では、地元出身者が多数の場合も多く、卒業後も地元に残る人も多く存在します。地方銀行や大手メーカーでも地方に拠点を構える企業では地元国立大の優秀な学生が入社しており、私は地元経済にも大きく貢献してきたと考えています。
また、家庭の経済状況と進学傾向には相関があり、裕福な家庭ほど私立大学を選択する割合が高いようです。逆に言えば、さほど裕福ではない家庭で育ったとしても優秀な学生は地元の国立大学に進学することが出来ていたのです。
これらの点から見ても国立大学の授業料の値上げは日本の研究や地方経済に大きな影響を与えてしまうことが容易に想像できます。
大学で何を身につけてほしいのか
「大学生は勉強しない」
「大学生は遊んでばかり」
このような発言をしばしば耳にします。実際にそういう人もいます。
同じ大学生として悲しいですが、正直かなりの数がそうかもしれません。
一方でこのようなことを考えている人もいます。
「では、何を勉強したらいいのか?」
しかしこの質問には誰もはっきりとした答えをくれません。
企業が求めるものの上位にくる「コミュニケーション力」「主体性」などは大学で勉強するものなのでしょうか。
特に主体性に関しては個性の話になってくるように思えます。
自ら動きグイグイ引っ張っていくリーダーもいれば、それに黙ってついていく人や、リーダーとその他の仲介役になる人など、様々な人が居て初めてチームとして機能するのではないでしょうか。
このようなことを身に付けてくれと言われれば、大学の専門教育が馬鹿らしく思える人が出てくるのは当然です
まとめ
専門性の強い高等教育と、ジェネラリスト重視の労働市場
日本の企業は一部の専門職を除けば職務の範囲は限定されていません。これを本書ではメンバーシップ型の契約と呼んでいます。
新卒採用では勤務内容は限定されていない為、個人のスキルを評価する必要性は相対的に低くなります。
そうなると企業としては、しっかりメンバーになってもらえるか、企業になじめるかなどの事項が重要なポイントになってくることは想像に難くありません。
これは教育のシステムが問題なのかと言われればそうではないことがわかります。
教育は万能ではありません。政策を議論する人は今一度、教育がどのようなものであるべきかはっきりさせるべきだと思います。そうでなければ議論は進みません。
当事者である学生は、自分なりに考えて結果に責任を持つようにするべきです。結局、困るのは自分なのですから、大学卒業時に後悔がないよう、納得できる生活を送ることが自分の将来に繋がると自分は思っています。